講評:柳沼昭徳 氏

総評

審査会の冒頭、まず一人5団体を挙げることになり、私は西一風、ルサンチカ、スーパーマツモト、コントユニット左京区ダバダバ、ウトイペンコの5団体を推した。団体それぞれに特徴があり、また難点もあるが、それは各劇評をご覧いただくとして、共通して言えることは観客への意識の高さにあった。

●西一風、ルサンチカ

高い完成度で観客に作品を提示しようという意識が高かった。多くの団体が特に演出と俳優の技術が目についた演劇祭だったが、上記2団体は抜きん出ていたように思う。ルサンチカが専門教育を受けていることは考慮に入れなければならないが、いい作品を生むにはたくさん作品を見なければ始まらない。彼らが学生演劇のみならず、たくさんの演劇作品に触れていることは間違いない。

●コントユニット左京区ダバダバ

観客を裏切るという点で非常に優れていた。手垢のついた要素をふんだんに使いながら、観客の持つ通念や価値観を遊び心を持って覆していく、知的センスの高い作品だった。

●スーパーマツモト

単純明快、笑いを力ずくかつ高い密度で観客にぶつけてくるパフォーマンス力の高さに圧倒されたし、狂気じみていた。

●ウトイペンコ

作品を見せるというよりも、観客との対話を試みているように思えた。ストーリーや登場人物が定まらないので、好き嫌いが別れるところではあるが、劇場空間で、断片的な言葉や身体表現を通じて、観客とイメージの共有や交流を行おうとしていた。

遡れば、古代ギリシャ時代から演劇文化は人類の発展と共にあった。時代を経ても、舞台の上に俳優がいてその目前に観客がいる、それは不変である。作品を作ることだけでなく、そこにいる観客に何を投げかけ、観客と何を共有し、観客とどのような関係を築いていくのか、こうした問題意識をもって作品づくりに取り組んでいけば、自ずと作品は外に向かって開かれてゆくと私は考えている。

個人賞=疎いペン子(ウトイペンコ)


A-1 第三劇場

いい大人がヒーロー戦隊という題材を扱う以上、客観性と批評性が必要なのではないだろうか?たいていの観客からはオタク的なレッテルを貼られること前提に、自らの嗜好から一旦距離をおいて作品を作る必要があったように思う。なにをおもしろがっているのか、はっきりとしなかった理由はいろいろあるが、その大元には、集団として稽古が始まる前段階で本当にこれは面白いのか、やりたい作品なのかといった、検証とコンセンサスの不足があったのではないだろうか。


A-2 劇団トポス

人間とロボットの物語。しかし肝心のロボットに違和感をもちつづけたのは、ご都合主義的に過ぎたからである。客席はもうそれは人間だろというツッコミに満ちていた。私が最も強く思ったのは、演劇表現に対する無知である。精神論のようになってしまうが、京都では毎週のようにあちこちで演劇上演が行われている現実がある。己のサークル内のみで表現を完結させるのはもったいない。多くの演劇作品に触れてほしい。触れて、演劇に対するあこがれを持って作品を作ってほしいと願う。


A-3 劇団西一風

脚本、演出、俳優、スタッフどれをとっても高い水準の上演だった。一瞬たりとも手を抜かない作品密度の高さは群を抜いていたし、センスも大いに感じた。 しかし、童貞ネタを始め、性的描写、歌あり踊りあり、コントあり、これらすべて90年代からの小劇場で成功実績のある要素の多用は、卒が無いという印象にとどまる。童貞というステータスについては、すでに多くの作品であざ笑ったり、開き直ったり、神聖化したり、とことん凹んだり、と様々な手垢がついているだけに、新鮮味に欠けた題材を選んだことが残念である。今後の活動に期待を寄せつつ、エンタメ系小劇場演劇の次の一手を生み出してほしい。


B-1 劇団愉快犯

恋の教習所というアイデアは面白いとは思うが、繰り広げられる観念的な小ネタが内向的なバカ話の域を出ていないため観客の笑いには繋がりにくかったように思う。また、脚本と演出の粗雑さと共に単純に台詞が聞き取れないなど俳優の演技もヘタウマでは片付けられない技術の低さも感じた。作っている段階で集団内での面白みはあったのだろうが、客席にまでは届かなかった。舞台と観客との間で共有や共感し合う接点の少ない作品だった。


B-2 ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。

生み出したい空気感は感じた。ふわっとした演劇祭の中で、文学的でジトッとした世界観を現そうとした姿勢は評価できる。抑制の効いた俳優の演技も緊張感をはらんでいたし、他の団体とは明らかに異なる繊細さを持って作品を作っていた。しかし、目論見が成功していたかというと残念ながらそうとは言えな い。フロワーワーク(座り芝居)が上演時間の大半を占めるこの作品だが、客席の構造上、3、4列目以降の観客は舞台上の俳優の顔が見えない致命的な落とし穴があった。私は空気を生むことは、観客と舞台との関係を生むこととイコールだと考える。作者により強い客観性を求めたい。


B-3 劇団月光斜TeamBKC

あらゆる点において作る側にとって都合のよい、観客の通念を無視したお話に共感も共有も起こりえなかった。厳しい言い方になるが、高校の文化祭のクラス劇のレベルで演劇に対して無知だと感じた。私はいつも作り手がなにを面白がっているのかに興味を持って鑑賞するが、現実感を欠いた世界の中で、幽霊、友情、殺人などどこかで見たことのある使い古された要素や台詞が並べられたこの作品に、作り手の創作意欲を感じることはできなかった。


C-1 劇団ACT

自分たちの他者意識に対する批評性を題材にした会話劇。オリジナリティある佳作だと感じた。会話だけにとどまらず星野だと思っていた人物が、突然三浦に変化するなど、現実的には起こりえない人物の互換が目の前で次々と発生する劇的展開が魅力的である。同時にこの劇的展開が物語を通じて問題とされていたことが、終盤のめまぐるしい展開によって雲散霧消した印象は拭えないが、 演技者の存在の脆さと、社会に埋没する存在の脆さとをリンクさせる作劇のセンスを私は評価したい。


C-2 劇団S.F.P.

高校演劇の地区大会の審査員をしていると、毎回10数校のうち最低1校は幽霊と死に神が登場するお話である。そして、その多くが演劇作品をほとんど見ていないか、全く見たことがないかのどちらかである。しかし観劇機会に恵まれない土地ならそれも許されるが、ここは日本有数の演劇の盛んな街である。 たとえ学内サークルと言っても学外で公演をする以上、作品は社会に向けて開らかれている、見られているという自覚をもって、作品づくりを行って欲しい。


C-3 ウトイペンコ

いったい何が起こるのか?という好奇心をくすぐられた。一般的に語られる演劇の価値観(物語、テーマ性、身体、言葉など)に依らず、観客と舞台との対話によって生まれる「なにか」を追ったこの作品は、人々が演劇をする、見る根源的理由に挑戦していたように思えた。作品自体は思いついたことを奔放に舞台に乗せた「荒削り」で「とっ散らかっている」印象は否めない。おそらく観客からは分けがわからないという感想も少なくなかったのではないかと思う。 しかし、この団体にとって、年齢や経験的に今でしかできない作品をひり出していたことは確かで、私はそうした真っ向勝負を評価したい。

D-1 劇団立命芸術劇場

全体的に拙い印象が強い。登場人物二人の成長を描いた作品だが、リアリティを意識した手つきなだけに、街角での立ち話で育まれる友情というものに説得力が感じられない。脚本に書かれた台詞とト書きを具体化したにとどまる演出、 場面転換の度に挟まれる暗転、ステレオタイプな人物造形と、モデルに見えない、キャバ嬢に見えない俳優の演技、どこをどう切っても現実とリンクしないまま、観客をつかめないまま上演時間が過ぎていったことが残念である。


D-2 コントユニット左京区ダバダバ

鋭い「おふざけ」を見た。他にも笑いを目的に作られた作品がたくさんあった中で、唯一笑えた作品だった。お屋敷、メイド、殺人事件。このベタベタ要素だらけのなか繰り広げられる推理コントだが、全くもって予測不可能な展開に グイグイと惹きつけられた。後半部の展開と構成の雑さ、ユルいでは片付けられない俳優の技量の低さなど、作品の完成度は決して高いとは言えないが、常に観客の思考を裏切る姿勢が小気味よく、今後の発展に期待の寄せられるものだった。


D-3 ルサンチカ

会場と観客を捉えきれていないことが残念に思えた。現代人にはすでに虚構に対する耐性が備わっている。世のドラマや映画、そんな世界が心底存在しているとは思っていないし。それらすべてが高度資本主義社会の道具であることを知っている。数々の天災と先行き不安な時代で、この作品の「あなたの人生だって虚構」というこの戯曲は空転した。また、虚構と現実の差異が必要となるこの作品にとって、会場である廃校の教室というしつらえがどう作用するのかを戯曲を選ぶ段階で考える必要があった。演劇に対する真摯さと、高い演出力、 俳優力、制作力を持つ彼らだから、授業で得た知識や経験をもってどんどん学外に飛び出し、自分と世界との接点を肌身で感じながら、今作るべき作品を求めていってほしい。


E-1 ヲサガリ

大学生が小学生をやっている。強い違和感を覚えたのはそうしたアンバランスさではない。子どもは純粋でかわいいという偏見で象られた人物造形と設定。 そして薬にも毒にもならない物語。これは子役を使ってテレビドラマでやればいいと思った。子どもの感じている世界はこんなに単純ではないはずだ。この作品が鋭さを獲得するには、まず、子どものことは大人にはわからないという前提と観察眼が必要だと感じた。


E-2 スーパーマツモト

祇園花月からほど近い木屋町で吉本新喜劇をする、その勇気を讃えたい。はじめそう思っていたが、本人たちの「ただ新喜劇みたいなのをやりたかったんです」という言葉を後から聞いて、脱力した。ほんまのアホである。しかし、そのアホさを持ってこの路線で作品を作り続けてもらって、ゆくゆく本家を脅かす存在になり、吉本興業株式会社から訴えられたり、潰されたり、吸収されたりする姿を見たい。という劇評でも何でもないアホなコメントで締めくくりたい。


E-3 劇団蒲団座

物語としてある水準に達していると感じた。しかし、ミステリードラマとして 観客の期待を裏切れていない。基礎的な筆力があるだけに、ありがちな印象を脱しない脚本が惜しい。また、俳優の演技力に対して演出力の弱さが気になった。特に“花”の存在は「俺もこんな状況になったら同じことになるかもな」 と観客を物語に誘うための重要なファクターであるが、信号色の衣装含めていかにも虚構ですと言わんばかりの工夫の余地が残る造形が、最後まで移入を拒ませたことは惜しい。




プロフィール

柳沼昭徳(やぎぬまあきのり)

1976年生まれ。近畿大学文芸学部にて演劇を専攻。在学中の1999年に京都にて烏丸ストロークロックを旗揚げ、以降全ての作・演出を行っている。

昨今では現代日本の地域や組織とそこに属する人々を扱い、作品を通じて批評と再評価を試行している。劇団外においては国内各地で市民参加型のワークショップ公演を多数行っているほか、2014年よりNPO法人京都舞台芸術協会理事長に就任、京都で活動する舞台芸術家の創作と発表環境の向上に取り組んでいる。第7,11,12回OMS戯曲賞ノミネート。Kyoto演劇大賞受賞。

京都学生演劇祭アーカイブ

京都学生演劇祭の、今までの出場団体の情報・審査員からの講評等をアーカイブしていきます。

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